2025年03月09日
みどり財産 三谷です。自己紹介~社会人前半オリックス編~
みなさん、こんにちは!
今日は、約2年半前に書きました、私の自己紹介~学生編~(https://www.midori-zc.co.jp/column-other/16243/)の続きを書きます。
学生編を総括すると、高校までは野球と勉強を両立した優等生。ところが、大学で馬鹿になってしまった。という感じです。関西大学法学部に進学しましたが、その4年間は、ただの人生の夏休みでした。やりたい仕事像も見えてきません。
しかし、就職活動は周りが始めたから、なんとなく自分も始めました。
私のような何の芸もない文系男は、金融系・製造・商社・・・とにかく自分の選択肢には「営業」しかないのだなという風に捉えました。当時は、バイトやサークル活動など、人と接することも好きで、いわゆるコミュ力というのはそこそこあるのかなと自己分析していましたし、ある意味、「何とかなる」という根拠の無い自信もあったので、「営業」も良いかも、と思っていました。
そして、「営業」をするならば、どうせなら「金融」が良いだろうと判断しました。メーカーの営業は、モノと価格さえ良ければ、営業マンが誰でも売れる。そういう魅力のあるモノを開発した理系が評価される世界だと思い込んでいました。それに比べ、金融は、形のない目に見えない商材を、営業マンの信用で提案を行うスタイルであり、金融の方が、同じ営業ならばやりがいは大きいのではないかと思い、金融を志望するようになりました。
しかし、雨の日もバイクに乗って集金に行くのはイヤで銀行は避け、証券会社はペテン師だと勝手に決めつけており、保険屋もどうかなーと思い、どこにトライするか決めかねる日々が続きました。そんな中、「他にはないアンサー」を追求するオリックスに出会い、魅かれていきました。投融資・リース・保険・不動産・野球・・その事業領域の広さに加え、先輩社員の皆様が輝いて見え、採用担当の女性もとても美人で、ここしかないと決めました。
そして、面接の練習の為に、採用活動の早かったMR(製薬営業)を練習台として進めながら、本命のオリックスに挑み、無事内定を得ました。迷いが無かったので、早々に私の就職活動は終了したという感じでした。
晴れてオリックスに入社した私は、同期のメンバーのこともとても好きで、本当に良い会社に入れたなと、素晴らしい内定・研修期間を過ごしました。
そして、いよいよ配属になるのですが、当時のオリックスで一番厳しいと言われていた大阪3部になりました。大阪3部は、パチンコホールのみを顧客とする専門部署であり、稼ぎ頭という花形的側面もあるのですが、営業は男だけ(他の部署にはキレイなOL営業マンも多数在籍)という、汗と泥の臭いが充満する男臭い世界です。当時はセクハラ・パワハラ上等の世の中ですから、体育会系の厳しい男社会に再び戻ったという感じです。
入社当時は2007年。パチンコ業界の雄であった福島県のダイエーが倒産しました。業界への厳しい規制によるもので、パチンコ業界では「ダイエーショック」と言われ、業界は非常に冷え込んでいきました。オリックスも当然に急激に引き締め体制に入り、新規の投融資はほぼ無しという状態に入りました。新入社員の私の主要業務は、モニタリング。パチンコ店を1日に10~20店舗回り、入店客数をカウントし、上司に報告するという、ものすごく地味で、やりがいのかけらも無い仕事でした。「いや、流石にこの仕事はバイトがやれば良いのでは?」という思いもありましたが、新規の投融資が無い環境下、新人にやらせる仕事が無かったということだったのだと思います。疲れるので、休憩にパチンコを打って、負けも重なり、オリックス社員にも関わらず、オリックスVIPローンカードの審査に落ちるという世にも奇妙な経験もしました。先輩たちも、能力を発揮する場面がなく、悶々としている様子でした。他の同期は、当時は不動産の環境も良く、徐々に自分の案件を成約に結び付けたり、羨ましく思えました。そんな最悪のスタートを切り、早々に私を含む大阪3部の新人5名は、半年くらいで異動になりました。
次に行ったのが、大阪6部。不動産担保融資の専門部署です。ここは、優しくかっこいい先輩方が多く、キレイなOL営業もいる、入社前に憧れたオリックスの姿でした。徐々に融資業務も覚え、顧客対応もすることができ、充実した日々を過ごしていました。
ところが、その期間も短く、今度はサブプライムローン問題・リーマンショックがやってきました!つくづく、持ってません!今度は、オリックス全体で新規投融資が止まり、オリックスの株価も暴落し、会社存続に危うさすら感じました。
大阪6部は解体で、私は入社3年目(2009年)にして、高松支店に転勤となりました。
高松支店は、今、奇跡的に同じみどり財産で働いている先輩の大谷さんを中心として、年の近い独身メンバーが多く、非常に暖かく私を迎えてくれました。ここで、法人営業の面白さをようやく学び始めました。節税、融資、不動産仲介、保険、事業承継など、様々な提案や成約を経験することができ、上司から一定の評価も得られている感触もあり、遅ればせながら成長を感じました。
みどり財産コンサルタンツを知ったのも高松支店時代で、大谷さんと川原社長が接点を持ち始め、取引がスタートしていました。川原社長や当時いた先輩は、圧倒的な知識・人間力を武器に、お客様と強い信頼関係を結ばれているのを目の当たりにしました。かなり衝撃でした。自分もそこそこ成長している気がしていた頃でしたが、レベルの違いが強烈でした。まだ当時の私は若く、ノリと勢いだけで、可愛がってくれる経営者にお取引をいただいていただけで、武器という武器は何ら持っていなかったなと今振り返ると思います。
みどり財産コンサルタンツが何故、顧客と強い関係を築いているのか・・・それは「事業承継」をベースとしているから。そう気が付き、「事業承継」への関心が高くなってきました。
プライベートでは、大谷さんに無理矢理連れていかれた四国雪合戦にて、今の妻と出会い、交際を始めました。
そして、結婚を意識し始めたのですが、妻は香川県庁に努めており、オリックスの全国転勤についていく気はないとのことです。私、困りました。そして、いつからか明確には分かりませんが、「みどり財産コンサルタンツに転職できれば、仕事も憧れの世界に飛び込め、結婚もできる」と思うようになり、みどり財産コンサルタンツへの転職を志望するようになりました。
しかし、川原社長の私への評価は非常に厳しく、「辞めておけ」と何度も言われました。一年以上、転職したいと言い続け、本気で断られ続けていました。対して、オリックスでの仕事は順調であり、非常に悩ましい時期が続きました。
事態が変わったのは、太陽光です。FIT40円、即時償却という、過去に類がない最強の節税商品が世に生まれました。私もオリックスでかなり商談を作ることができましたが、当然に、みどり財産コンサルタンツも多くの商談が立ち上がり、人手が足りないとのことで、私の入社を受け入れてくださることになりました。
給与は25万円。オリックスから半減です。今のように、転職者を厚遇する社会ではありませんでした。悔しかったですが、現実的な評価だと思います。改めて、転職してみて、自分には何もできませんでした。「お前は何もできないのだから酒飲んで盛り上げとけ」・・・今では考えられない、みどり財産コンサルタンツでの勤務が始まります・・・続きはまた・・・ありがとうございました!